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(1+不)得手

1分4ページ。

私が本を読む速度らしい。

つい最近友人に測ってもらった数値なので正確なものではないが、内容の把握具合などから考えてそれくらいになるという。 普通の人は1ページ読むのに1分かかることを、教えてもらってその時初めて知った。そんなにかかるのか、と嫌味でもなんでもなく言ってしまった。 伊藤三時、齢二十過ぎ。自分の普通は世間とは異なることがあると知る。

友人曰く、私は画像記憶を持っているようだった。私の中では記憶は絵コンテのようになっている。やたらFPS値の低い動画と言っても良いかもしれない。3秒に一回くらいの写真が次々と脳に写る。動画で思い出すことは出来なくはないが1秒も持たない。私が本を早く読めるのは、画像記憶が原因だそうだ。文章を文章としてではなく、画像として覚えているのだと言う。

先程の話をもう少ししたい(多分主張したいのだ)ので踏み込むと、私は普段は台詞や文章よりも情景や感覚を覚えるのが得意である。今目の前で干されているピンクのタオルが揺れる様や、その時友人が私と話しながらパソコンを触っていたことを覚えている。測る為に読んだのは千年旅人だ。そんなことは覚えているのに、課題や予定は記憶力が無さすぎるのか全く覚えられない。いつか他のことも忘れるかもしれない。そう考えると記録するしかなかった。私はスマートフォンや、父から借りた一眼レフ片手に写真を次々と撮るようになっていた。 興味のない本の場合は何回も戻って読む為に全く読み進まないしそもそも読まなくなる。全く内容は頭に入らない。

物語のあるものならば早く読める。話の流れはあまり覚えられないものの、台詞などは一回読めばおおよそ覚えられる。それを考えたら台詞覚えは早いのかもしれないが、台詞はよく間違えていたようだ。言うことと覚えることは違うらしい。 課題の動画を撮影している時もその場その場でコロコロ演出を変えるため、台詞を変えることもとてもよくあった。編集時その意図を覚えていないのでなかなか困ることはよくあった。 興味がないことはわからないから放り出す。覚えられないことの方が多い。小説の一節や人が喋った会話ばかり覚えている。

そんな人間だったがなんだかんだ二十を超えた。このせいで気持ち悪がられたりすることもあれば、申し訳ないことに何人も傷つけてきている。しかしただ私が一分に4ページ、たったの4ページを読めるという事実になぜか救われた。初めて記憶を褒められたことに私は少し上機嫌であった。だから書きたがったのだろう。我ながら申し分ないほどの調子に乗るピエロ気質である。

ちなみに当の友人は、自分の記憶の仕方は動画記憶と言っていた。普通の人がどんな記憶の仕方をしているかは脳神経の専門家でもなんでもないので流石に知らないが、私からしたら動画記憶も普通ではないことだと思うし、正直動画で記憶したい。動画で覚えられないということは動いていたはずの夢すら静止画で記憶に残るのだし、どれだけ映画を見たところでほぼ絵コンテ状態なのが惜しい。

どちらも記憶であることに変わりはないようである。だけど拡張子の.jpgと.mp4の違いがあるのは誰の目から見たって歴然だ。私はjpgではなくてmp4が欲しいだけなのである。私のスペックだと良質なmp4が取れないのだ。大きな違いではあるが、言ってしまえばそれだけである。

人には得手不得手がある。 得手、という言葉は得る手と書く。その物事を得る事で、初めて人間はその行為の得手となる。逆に未だ得ていないのならば不得手なのだろう。私にとっての不得手は管理能力のなさ、怪我をしやすい、挙げればきりがない。ただそんな私でも得手だと言えるのが文章と、その記憶方法なのだろう。 不得手を果たして得手に出来るのか。それはわからない。不得手であっても不得手とまだ分かるだけいいのかもしれない。

そうこうしているうちに駄文になってしまった。申し訳ない。

私は元々数学が得意だった。高校の頃は理系だった。理系に入ってから数学が出来る人なんて学校には山ほどいた。そのうち数学は不得手になった。

幸い因数分解くらいはまだ出来る。得手と不得手の共通項は得手。それを考慮すると(1+不)得手。えてふえて。

どちらも得ていることに変わりはないようである。


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