全て親指の恋人達に
どんな時も、本屋は良い。並ぶ文庫本のタイトルを見てどんな話か想像してみたり、自分の好きなタイプの物語は一体どんなタイプなのかを分析してみたり、あえて自己啓発本のタイトルを見て、なんでこんなタイトルなんだとかイチャモンをつけてみることもある。
少し前神保町で働いていた頃は帰路の途中で本を漁るのが楽しみで仕方なかった。基本的に小難しい本やら文庫本やらを見てニヤニヤしながら奥へ進んでいき、めぼしいものがあれば手に取って見ていた。で、大体その値段に目玉が飛び出そうになる。学生に神保町はまだ早い。
基本的に新品を買いたいのであまり行くことはないが、大量に情報を仕入れたい時は大概ブックオフに行っている。
早速文庫本のあ行から順に見ていく。早い段階で私は二冊の本を手にしていた。それから何冊か本を漁り、買い物カゴを持ってレジに向かう。
またやってしまったなと、会計をしながら思う。だってこのカゴの中には同タイトルの小説が二冊入っている。今日うっかりしていたわけじゃない。ついやってしまうのだ。前にもこんな感じで三冊やってしまった。そのタイトルは『親指の恋人』。私の聖書かつ、私の呪いである。
『親指の恋人』は、石田衣良作の恋愛小説。この小説と私との出会いは、十三年も前に遡る。
その前に私の母の話をしよう。私の母は私が生まれるずっと前から本の虫であった。小さな頃はあまり良い思い出もないものの、絵本を沢山読んでもらったことはしっかりと覚えている。もちろんタイトルだってちゃんと言える。はじめてのおつかい、めがねのてんぷら、本当に色んな本を読んでもらったものだ。本の虫の遺伝子を受け継げたことに未だに感謝は尽きない。
それはさておき、母は本の虫な訳だから、しょっちゅう図書館へ行っては本を借りて読むのが趣味だった。小学校三年生の私は、既に分厚いハードカバーの本に興味を示していた。母には読むな、とよく言われたものだ。
昔から人の言うことは聞かなかった。カリギュラ効果が強過ぎる。私はやるなと言われたことはせずにはいられなかった。親が居ない隙にその『禁書』を読んでやろうと企んでいたのである。
あぁ、この親にしてこの子あり。本が示し出す未知の世界の魅力に私は抗えない。カラフルな表紙に惹かれ、禁書達の中から私は一冊の本を手にする。
その本こそが、『親指の恋人』。
この物語のストーリーは、現代版のロミオとジュリエット。ひと月で心中した若い男女の物語。出会い系サイトで知り合った境遇もなにもかも違う二人が惹かれ合い心中する話だ。
この本を読むなと言われていた理由だが、極めて露骨な性描写があるからだ。石田衣良作品を読んだことのある人ならご存知だろう。当たり前だが当時の私は身体を重ね合わせる単語が何のアルファベットで始まるかも知らない。母はこの本が俗に言う、『男子学生がベッドの下に隠す本』に位置すると定義していて、だから読むなと言ったのだ。
読み進めてなんとなくどんな物語か、どんな意味を持つ言葉があるのか理解して、読むなって理由はそんなことかよ、と思った。私は勢い任せに物語を読み進めた。
私は何故かこの物語を三時間ほどで読破した。主人公は死に、ヒロインは死んだ。物語は始まりそして終わった。蝶の標本のように華々しい、彼らの死とともに。
小学三年生、秋。禁書を読破した私が得たそれは、価値観の呪いだった。
話を戻そう。それ以来私はこの本に執着とも言える思い入れを持っているのである。高校生の頃はお小遣いで買った一冊の本をボロボロに成るまで読み、友人にも貸した。
余談だが今でも人に貸した時に『官能小説じゃねえか』と言われることが多々有る。これを小学校三年生の時に読んだと伝えるとだいたい相手は眉をへの字に曲げる。ちょっと面白い。
お金が入るようになって、それこそ新品はおろか古本屋で見かけることも少ない。が、見かけたら必ずと言っていいほどそれを手にした。持ち帰って並べる。文庫本用の本棚に並ぶのは『親指の恋人』たち。結構壮観だ。
多分自分はコレクター的なところがあるんだと思う。同じ見た目の全く同じ内容の本を買うのはなかなかおかしいと思うが、やめられない。一度親に見つかって怒られた、というか心配されたこともある。焼きつくと、終わらないのだ。生まれてきた頃からの呪いのように。
あの日以来、読み返す。同じシーンでも、飽きることなく。言葉を一字一句飲み込む瞬間は、これからも私にとって最高に高まる瞬間に違いないだろう。心配なのは、この本をあとどれだけ集めたら気が済むのだろうか、それだけだ。
これが愛なのかは私にもわからない。