映画が心に焼きついた
今日は大学の教授に今の自分の状況を説明しに行っていた。 教師とか年上とか、そういう人は至極苦手な分野だ。何でか分からないが最後まで相容れないことの方が多い。私がこんななので年下の人にはだいたい私が合わせて敬語か、敬語を使わなくてもいいと言っている。 これを書いている今も正直冷や汗が全身に飛び散るくらい苦手だ。自分で言っていて意味が分からない。手も震えるし。 ネットで知り合ったくらいの人なら大丈夫なのだが。下手すると年上恐怖症なのかもしれない。知らんけど。 とはいえ時間になったので向かうは向かう。 今日、今から書くのはその後の話。 面談は読者の方々が想像する通りの内容。就職や今後のゼミについてを筆談で話す、ただそれだけだった。 ただ私は声が出なくなったと一言書くだけで涙が出そうだった。声が出ない原因が例え何にあろうとも、いつ治るか分からない、それも恐怖だった。先の見えない未来を語るのは簡単だ。けれどそうであるが故、狂いそうなほど容易くポジティブな言葉がそこに入り込む。文字通り声を失うこともあった。 終わった後、ゼミ室に籠って色々考えていた。色々な言葉が流れてくる。声、穴、高所、傲慢、孤独、欲、贖罪、気付いたら我慢出来ずに涙を流していた。世界に耐えられなかった。 そんな中、ゼミ室に誰かが入ってきた。あの時は本当にびっくりしてもっと泣きそうになった。 入ってきたのは教授だった。教授はなんでか分からないがブルーレイディスクを持っていた。教授は『今はアレかもしれないけど』と机の上に置く。 教授はただの映画好きではない。長年映画を研究してきた映像ゼミの教授である。 教授が渡してきたのは、『パリ猫ディノの夜』という映画だった。 65分程度の映画だ。 パリに住む猫のディノが、昼間は少女、夜中は泥棒の所を行ったり来たりするうちに、様々な問題を解決するキーになっていくアニメーション映画だ。 この映画を勧められた理由は、父を目の前で失ったショックで失声症となった少女が猫の飼い主として出て来るからだ。母親はその父を撃った相手を探す警官。 彼女は物語の途中から声を出すことが出来るようになるが、そのタイミングや、笑い声は普通に出せるという所は、自分からしてとても共感出来た。嗄声(させい)と呼ばれる囁き声で一対一程度ならコミュニケーションが可能な私と比べたらもっときついだろうと思う。猫はもちろん喋らないので会話をしないコミュニケーションも何度か出て来る。ジェスチャーで伝えるのは難しいのに、心の動きが分かるのは面白かった。 話は実際に映画を観てくれれば分かるとして、私はこの映画を食い入るようにして観ていた。声をしっかり出して話せる羨望もあったが、何より没頭していたし、この映画を選んでわざわざ持ってきてくれた教授に感謝していた。 ゼミ室には物凄い量のDVDがある。二十本はある。教授の部屋にはもっと数があり、これらはその一部だから驚くしかない。ロボコップ、ファイトクラブ、バックトゥザフューチャー全シリーズ、観たことがあるものもないものもいっぱいある。 なんとなくそのDVDの流れを見ていて、ゼミ室に来ていた後輩(とは言っても来年同級生だ、同い年と変わらない)と話してみた。話を聞いているとやはり私たちと一つ下の学年とでは参考にしている映画が違ったり、今更去年受けた映画の授業で参考となった作品のタイトルを知ったりした。特撮好きの後輩なので、オススメしたい映画の紹介をしたりもした。 同時に周りに人が少なければ囁き声で少し話せるようになったので試したが、これならまともに話せるなと少し安心した。 その中で後輩が『レディプレイヤー1』を観たことがないというのでせっかくだからと一緒に見ることにした。ぶっちゃけただ私が観たいだけで激しく勧めたのは言うまでもない。ワクワクしすぎて人知れずちょっと飛び跳ねていた。 画面に釘付けになって、流れる全てのものに目を向けていた。時々自分のトラウマを思い出す瞬間もあったけど(映画は関係ない)、それでも大好きな映画を観ていたら、初めて心の重さがなくなった気がした。 付き合ってくれた後輩にどうお礼をしたらいいか分からなくて、映画を観ている最中、とりあえず持っていたランチパックを半分あげた。 面談の時に教授が言っていた。『こういうタイミングで言うことでもないかもしれないけど、ピンチはチャンスだから。ドラマとかも葛藤だから』と。声を失くした学生は生きてきて初めて会ったと言っていた。後輩も私の観たい映画を一緒に観て、楽しいと言ってくれた。一本の映画を勧められた。一緒に観た。それだけで嬉しくて、久しぶりに、映画が心に焼きついた。どうお礼をしたらいいか、未だに悩んでいる。 教授は大学の映像ゼミの教授。後輩は偶然居合わせただけ。私はこのゼミの学生。事実としては本当にそれだけ、でも一生忘れないと思う。 帰り道、少し喉が痛くてジュースが染みた。 これからも大事にしておこうと思えた、不思議な痛みだった。