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声がなくても筆がある。

『声が無くてもそこそこ生活出来る』ということに気づいた。 スーパーやコンビニは声を出さずとも買い物出来るし、歩きスマホ気味にはどうしてもなるが歩きながら人と話すことも可能といえば可能、手間がかかる以外はあまり不自由がなかった。 ただ当たり前のことながら周りから見たらやっぱり『不自由な人』とは思われるようで、自分と他から見た時とのギャップは意外にも大きかった。 今日会った後輩から「筆談ってめんどくさくないですか?」とも聞かれたので、丁度いい、今日は少し方向性を変えて、砕けた感じの文章でそこら辺をまとめてみよう。 勿論、話のネタにしてくれても全く構わない。創作では声を失ったりするキャラクターはそこそこポピュラーなのだから。 ・耳が不自由と思われる これが一番よくある。まず筆談で異様な目で見られるのはまだ良いとしよう。筆談で『声が出ません』と言うと、耳まで聞こえないと思われがちなのだ。なので必ず『耳は聞こえます』と付け足す必要性がある。しかしそう言っているにもかかわらず声の音量を気にされたり、ゆっくり話しかけられたりもする。これは友人間では全くないが、公共の場などではよく発生する。 考えてみたら声が出ないだけで世間的には『身体障害者』扱いになるのかと、これも最近気づいた。耳までは不自由ではなく、あくまで声が出ないだけなので普通にしていてくださいと頼むのは結構こちらとしても申し訳ない。気遣いは最低限でいいから、あくまで変わらず普通に接していて欲しいだけなのだが結構これが辛い。 ・なんとなーく手話を使われる 先ほどと同じような理由でたまーにあるパターン。こちらは全くではないが殆ど手話がわからないのでその優しさに対応出来ない。意外にも結構いるので最近手話を覚え始めた。 ブギーボードで言葉は聞こえますと伝えると、はてなマークを浮かべる人も結構いる。これも、声が出ないだけで言葉はわかるといちいち伝えなくてはいけない。耳は聞こえるからヘルプマークをわざわざつけるのも考え過ぎな気もする。このアウェー感はなかなかに耐え難い。 ・よくよく考えたら結構危ない そう、何故ヘルプマークなんて考えているのかというと、声が出ないということは叫んだり助けを求めたりが出来ないのだ。緊急時も残念ながら電話が出来ない。仮に不審者に絡まれるとかがあっても何も出来ないのである。 防犯ブザーは流石につけたくないが、声を出せない人用に予備笛というものがあるらしい。万が一の時はこれが叫び声の代わりになるそうだ。 とはいえ笛も吹けないほど体調が悪くなったりしたらどうしようかとか思う。一週間経てば治るかもしれないしそうではないかもしれない、ヘルプマークも付けたら付けたで利用されてしまう可能性がある。考えれば考えるほど助けを求める立場になるのが怖くなるのは現状だ。こういったことを考えると、長いこと声が出ないキャラクターが一人暮らしなのはあまり現実的ではないかもしれない。どちらかといえば実家暮らしをしていた方が、身の安全の確保には最適だからだ。 ・頭の中が文字でいっぱいになる これはこの状態になってみないとわからないことである。一人でいようが人といようが口に出ることがない分はどんどん頭の中に溜まっていき、小説の地の文になって行き場をなくす。起きた瞬間から自分の頭の中でナレーションが流れその記録の処理に困るのである。ちょうどこのブログの文章のように吐き出す場所か、もしくは『地の文が流れないような状態にする何か』がいる。映画とかがいい例かもしれない。いや、映画を観た後も感想を言いたくてたまらなくて洪水になるのは変わらないのだが。 ちなみにこの状態でリアルな会話に最も近いのはLINE。知り合った人とはなるべくチャットアプリを使えるようにしている。私のような人間はテクノロジーの進化に助けられているのだ。スマートフォン様様。 ちなみに脳内がどんなものなのかもっと見てみたい人は『食堂かたつむり』を読んでみるととっても分かりやすい。 ・愛想は良くなる 『はい』や『いいえ』で答えられる質問なら声が出なくともいけるだろうと思っていた。が、人間、無言で頷かれるだけだと『はい』か『いいえ』か分からないようだ。 そのせいか意識的にいつも笑顔でいるようになった。アニメなどの声の出ないキャラクターにあまり暗いキャラが多くないのもこれなのかもしれない。 あとこういう時にある程度表情のバリエーションがあると、やっぱり相手にもニュアンスが伝わりやすい。役者をやっていて良かったと思える意外な点だった。 ちなみに私、普段着ている服が服なので、電車の中で男と間違われ、女性に怪訝な顔をされ離れられることが時々ある。降りる時に声なんて出すとさらに驚かれる。人はまず視覚的に物事を判断する。見た目は大事だ。そして会話では、動きだけではなく表情も人を判断する大事な要素だということが改めて分かった。 ・いつ治るか聞かれる、声出てるから喋れると言われる 一週間程度で治ると言われてもいるらしいのでなんとも言えないが治りには個人差があるので、治るのはいつかなどと言われてしまうと、苦笑いでわかりませんとしか答えられない。まだ治らないんですか? と医者に聞かれた時は逆に聞き返そうかと思った。 笑い声は出るけどそのままのノリで喋ることが出来ない。たまに痛っとかは出るけど本当にそれくらいだ。声が出ないというより意識的に声帯を震わせて喋ることが出来ない、の方が近いのかもしれない。 声が出なくなった人の中には寝言を言う人が結構いるらしい。それを聞いた家族から、あんた声出てるよ、少し声出してみたら?などと言われても対応しかねる。 ・話すタイミングがわからない これは完全に私が悪いのだが、普通に話をする気分で肩を叩いたりしてからブギーボードに書きだしたりし始めると遅い。ほんととにかく遅い。スマートフォンで話すこともあるがそれにしたってとても遅い。見せる手間がかかるのは勿論、歩きながらとか全然見られない。相手に一回止まってもらうことになってしまうこともあるのでこれはなかなかに辛い。 なのでリアルで話す時は基本聞き役に回ることにしている。話したいことがあればブログに書いてもいいわけなのでそこら辺はあまり気にしていないが、私も口数の多い人間だ、初めの方は少し苛立ったりもした。これは完全に慣れ。 ペースを合わせてくれる人が殆どで本当に有り難いのだが、家族相手だとイラつかせることも多い。家族にもたまに、書いてから呼べと言われる。すいません。 まぁだいたいこんな感じである。生活出来るとは言ったが私の周りで支えてくれる色んな人の人達のおかげでなんとか生きられている。それはすごくありがたい事で、とても嬉しい事。なんとも不思議な感覚ではあるが、気付きも多かったので嫌な事ばかりではない。案外生活は良好で、おかげさまで今日も私は日々あったことをメモに綴りつつ過ごしているのである。 


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