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ブログを書き続けるのすごいねと言われました。ただ変わらずネタはない。

でも最近ブログをめちゃくちゃ書いているのは、単に暇が多いから考えることも多くなって溢れ出たものがここに流れているだけなのではないかと考察しています。しかもこのような文体で延々と書き続けているので、これがまたきっと人を選ぶのでしょう。私は元々、というか数年前からずっとこのような文体です(元は絵文字とか普通に使いました)。書いていることも書いていることなので病んでいると思われることもかなりあるのですがそんなことはないです。長文を書こうとするとこんな話題しかないのです。単に話す話題がないだけなのです。なら何故脳から溢れ出たなんてさっき言ったのか自分でも分かりません。もしかしたら眠っている間にスプーンで脳にある思考の底の方を掬ってこっそり舌に置いているのかもしれません。おい誰だよそんなことするの。脳の容量なくなっちゃうだろうが。

さておき。 物書きらしくフィクションの話をします。あまり良い表現は出てこないかもしれません。ご了承を。

あと急にですますじゃなくなります。 これ今気づいた。びっくり。

世界観が変わっちゃう感じがしたのでなんとなく線引きしときます。

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美しいモデルと言われた彼女が実は存在しなかった。

嘘の様な本当の話がついに現実になった。私も彼女のことを美しいと思っていた。私の記憶ではインタビュー記事も確かあったはずである。それが現実にはいないということにかなり衝撃を受けた。こんなことがいよいよ起こった、ということに私の心情風景には落雷に撃たれた一本の焦げた木がアップで映った。

(このニュースを言われてもピンとこない方がいると思う。記事はこちら。http://front-row.jp/_ct/17151593)

フィクションであった彼女。私はその日ニュースを読んでから、彼女の存在が頭から離れなかった。LINEのアプリで流れてきた千文字もないニュース記事だったのに。ここまで心を動かされるとは、いやそれすら私のついた嘘かもしれないが、でも私だって感動するんだ畜生と叫びたくなった。よく分からない。

作り物に心動かされさらに取り憑かれるのは馬鹿げた事だという昔の考えはこの時代、まさに裏返ろうとしている。現に作り物に騙された民衆がそれを証明し、その民衆の中に自分も存在している。『そんなもの分かりきっていた』と言うのではなく『知らなかった』と感嘆の声を上げる一人になっていたことが楽しかった。私はまだまだ受け手側なのかもしれないし、それはクリエイティブに何かを生み出すことを目指す身としては悪なのかもしれないが、決して恥じることではないなと思った。だって工学好きがジェットコースターを作るのと、ジェットコースター好きがそれに乗るのは、きっとどちらも楽しいだろう。

作り物で心を動かすというのは、言い方によっては嘘で心を動かすことと同じである。 現実には存在しない人物を演じ人々を虜にする。美しい話を書いて人々に素晴らしいと言わせる。あえてその人にはない特徴を絵に描いて人々に美しく見せる。どれも虚偽であるが、その人々の心を動かしたことに変わりはなく賞賛される。同じ嘘でも良い嘘がある。私はその嘘に拍手をする。限りなく拍手を送る。

詐欺師が嘘をつく仕事の中で一番悪いのなら、二番目に悪いのは小説家だと思っている。 フィクションという現実では起こっていない嘘を淡々と何万字も書く様はまさに狂っていると言うにも等しいのではなかろうか。そしてその嘘で人を楽しませているなんて悪にも程がある。私は彼らを見て、単純に凄いと思っているわけではない。文章の才がある者を見かけて、恐ろしいと感じると同時に強く惹かれる。一行一行に込められた、その紙の上では真実にしか見えないものに想いを馳せる。 そしてその嘘が本当に嘘だとは言っていないことがこの職の恐ろしいところだと思う。彼らが語ることは全てが嘘ではない。

ところで、私は小説家志望だ。志望とか言う割に持ち込みとかはしたことがないので今のところは小説家と名乗る資格はないと自分で思っているので外では物書きと名乗っている。ライターでも良いかもしれないが今のところは全くお金を貰ってないのでそれも言えない。時折、自分は自分に嘘をついているのかもしれないと思うことがある。この口から語っていることが嘘かもしれないと思うことがある。これは病院でよくそれはなる。病状を説明してそれは嘘ではと思う。痛みに悶えている自分は演技で、この苦しさは怠けから来るもので、怪我をしたという思い込みで、あれは嘘では、まだ動けると思う。放っておくと傷が治らなくなったりする。人に言われて初めてそれを自覚出来るので病院に行く。それを学んでからは症状が出たら自主的に病院に行くようになったがそれで医者の先生に言うにもこれは全部嘘なのではと思いながら言う。薬を飲めば、治療を受ければ、その嘘が消えるのは不思議なことに思える。これが職業病というのならそれは幸いだろう。ただそこまで入っていないのも踏まえて、たまに危うさを覚える。

もし、私が自分があの時怪我をしたことが嘘だったら。薬を飲んでいるというのが嘘であれが全部偽薬だとしたら。前述した、これが普通なんてもっぱら嘘で、実際に病んでいて本当は手首に何本もの赤い平行線があったなら。エアガンではなく実銃を触ったことがあったら。人を殺したことがあったら。

あなたがそうであるように、私の頭が想像で作れることは、いくらでもある。決して私が語ることが全て本当とは限らないのである。変な話、私がCGかもしれないのだ。実際に会った人ならまだしも、会ったことのない人は、それを決してないと否定することが出来るとは限らない。人によって疑う尺度や嘘は変わる。

これを読むあなたはいつ、何を信じるだろう。ツイッターで言っていること全てが嘘だったと思うだろうか。これが嘘でこれが本当だという分析を始めるだろうか。このブログだけにしても、記事という額縁に飾られた全てを信じるだろうか。それとも全てを疑うだろうか。自分なりに納得のいく仕分けをするだろうか。そんなもの無かったとあなた自身に嘘をつくんだろうか。私は嘘をつく辞典みたいなものだと思わないだろうか。それとも私の身体の中を覗いて真実を見極めたいと思うだろうか。

腕の良い詐欺師は、最後は自分で自分の嘘すら見抜けず自分に騙されるらしい。

嘘であっても信じてくれるだろうかと、最後に賭けるのが自分なのだろう。美しいと思う。

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