無題
- 三時 伊藤
- 2018年9月26日
- 読了時間: 3分
この前掃除をしていた時にカラーボックスの掃除をした。上から三段目の所には様々な薬が入っていた。内容は違えど今もそれは変わらない。薬が必要な時はここから出す。
さて、私が高校時代に薬にハマった話は一体どこまで需要があるだろうか。
とはいえ私が飲んでいたのはドラッグストアで買えるようなものばかりだ。ここに至るまでの経緯は高校二年生の時に出会った友人からエナジードリンクを教えて貰ったことに起因する。当時飲んでいたのは頭痛薬、鎮静剤、カフェイン剤、その他諸々のサプリメント、以上。中でも飲んでいたのはカフェイン剤だった。
ただ、高校生から今に至るまで割と色々な薬を飲んでいた私だが、睡眠薬にだけは手をなかなか出さなかった。あれは言っておくが一箱飲んでも救急車送りになんてなりゃしないのである。睡眠薬で死ぬのは本当に難しく、途方もない量を飲まなくてはいけない。あの時はわかっていながらも飲んで普通に起きたが、脳の肝心な部分が動いていないことにひたすらイラつく生活を送ることになった。しかも二、三日は続くので本当に何も得がない。フィクションで時々見る自殺方法が間違っててどうすんだ。ファンタジーでもないのに登場人物人間じゃないのかよ。
カフェイン剤は初めはいいが何回か繰り返すうちに身体が慣れてきてからが本当の地獄で、量にもよるが私の場合5錠あたりからは本当に死ぬんじゃないかと思った。一回救急車を呼ばれかけた。飲んでいた理由が実に病的なもので、確か、元気でないといけないからとか、そんな理由で飲んでいたら規定量をはるかに超えた量を飲んでいたのである。
鎮静剤は単純に効果がなかった。本当にそれだけだった。このあたりから私はプラシーボを信じなくなる。
突然こんなことを書いているのはふと自分の好きだった小説の終わりを思い出したからである。主人公は薬物自殺による同意の上での心中で死ぬ。私はあの小説を小学校三年生の時に読んだ。初めて読み終えた長編小説だった。
あの時に使っていたのは確か睡眠薬と咳止め薬なのだが、量が半端じゃなかった。男の主人公が一掴みしてシャンパンで飲むくらいの量だ、あれなら死ねるに違いないなと、数年後に薬の知識を得た自分は思っていた。たかだか脳の働きを変えるくらいの向精神薬でそう死ねるわけがない。あれくらい単純に息の根を止めるくらいのがちょうどいい。
周りにも医者にも、過去に縋るな囚われるなというが、一体どこにアイデンティティーを置くというのだろうかと最近ずっと考えている。空の色で思い出す一瞬があり、音が視界に割り込んで離れない時もあれば、靴の音で震える気管のざわめきはどんな電撃よりも冷たく、金の蛙は未だにあの日に私を引き戻す。タイムマシンの引き金は至る所に落ちていて、過去に戻らない選択肢がない。医者もわからないだろう。見えていないものは真実ではないのだから。
薬で曖昧になった時の感覚を知っていた。難しい感覚であることに変わりはない。今の感覚はそれによく似ていた。曖昧である存在として存在し続ける自分をどこかから観測している。そんな風に思える。
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