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窓辺

  • 執筆者の写真: 三時 伊藤
    三時 伊藤
  • 2018年9月27日
  • 読了時間: 3分

起きたら窓辺に居た。ベランダではない。少し外に迫り出した窓のすぐ側、何個かオモチャが置いてある窮屈な場所に自分が座っている。

自分の右側の窓が開いていて、冷たい風が首元を流れた。おもちゃの位置が少し変わり、スマートフォンが置いてある。めちゃくちゃな文章が一面に書かれた画面があった。

空が晴れて青くなると窓を開けて風を浴び、窓を閉めると空が曇るの繰り返しをしていたら、十六時になっていた。

スマートフォンの文章を見るまで、何をしようとしていたのか忘れていた。

ジャケットを着ていたので外の風は寒くはなかった。その窓の外へ向かうには一歩分も必要なく、少しでも動けばコンクリートの上に落ちてしまう場所で、私はそこに座っていたらしい。何時間も。

窓辺から降りて、目の前にあったお菓子を何となく手に取って食べる。味が曖昧になっているが不味いわけではないのでそのまま何個か口にする。だいたいどれも同じようなお煎餅とかフィナンシエのような焼き菓子とかであった。ここ最近物を美味しいと思わなくなってきたのでどれも一緒に感じる。逆を返せば何を食べてもそこまで変わらないので食事には助かっている。

気がついたら眠っていた。外からはいつもなら子供の声がするはずなのに、珍しく何も聞こえなかった。

また眠っていて、今度は母が帰ってきた。フレンチトーストを冷凍してくれと言われ、そういえばそんなものがあったということを思い出す。どんな状況で置かれているかまで見えなかったので何もしなかったのだろう。その後も色々言われていたが声が出ないので頷くしかなかった。

その時、人が隣にいると動作に合わせてモーター音がするということに気づいてしまった。頭がおかしくなって現実と思えてしまう前に先に書いておく。確かにモーター音がした。人間が機械だと認識しているのか偶然機械が動いてるのかも分からないので思わず本人(母)に訊いてしまった。変な物を見る目をされて終わったが。

人とメッセージアプリを使って会話をするのはなかなか異様だ。現にこれを書きながら会話をしていたので母からはずっと文字を書いているように見えるらしく色々言われた。何人かとやりとりをしていてもこうなるし仕方ない、今はこういうことしかやることが無い。

なんだかこの状態になってから、周りにいる人たちはどうやって生きているのかが普通に気になるようになった。時間を早く進める薬でもあるのかとか、今も咳をする母が機械だったら誰が私を産んだのか。

そんなことを考えていると気がついたら夢から覚め、窓辺に居る。例え曇りでも晴れでも雨が降っていても、ジャケットを着て十数センチ先の底にある地面を眺めていて、そして手元にはいつも、文章が書かれたスマートフォンがある。

何も覚えてないわけではない。何も思わないわけではない。何も考えていないわけではない。ただそれから目を背けることがなくなった日に私は真昼の空中に居るのかもしれない。記憶を反転させた自分はそれを待ちわびているのかもしれない。


 
 
 

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