声の重さ
- 三時 伊藤
- 2018年10月1日
- 読了時間: 3分
私はスリーサイズを測ったことがあまりない。先日スリーサイズを教えてと言われて本当に分からないのでその場でメジャーで測った。ウエストが63センチなのは覚えている。 身長は年に一度しか測っていないが154㎝台であるのは知っている。小数点以下については分からないので割愛するとしよう。 しかし自分の体重ならば明確に答えることが可能であった。私の体重は47.4kg。これは大学二年生5月の時から小数点以下の数字から全く変わっていない。いくら痩せてるだとか太っただとか言われてもこの数値だけ全くもって変わらず、2018年9月までやってきた。 ところがつい先日、体重を測る機会があったので試しに測ってみた。表示された重さは46.3kgであった。 長年不動であった数値が二週間程度で大きく動いたのである。 よく魂の重さは3.75グラムと言われる。あれは『肺に入っていた空気の重さ』という見解があり、私は実際そうだと思っている。 この先もし声に重さがあったらと問われることがあれば、私は間違いなく1kgと答えるだろう。この47.4kgという重さは私が声を失う前のほぼ何も身に纏わずに測った私の身体の重量だ。そして46.3kgというのは、私がつい先日に測った私自身の重量である。もしかしたらそうでないかもしれないが、そう思った方が面白いではないか。 ところで、現在は働くことも出来ず人との交流は控えるよう言われ、外出は疲れてしまうのでなるべく控え、となるとあまりにも毎日することがなくて退屈な日々を過ごしている。両親がいない状態で一人になると気付いたら何をするか分からないし、止める人がいないので、基本的にはベッドの上からは動けないでいる。寝る以外に自分の身の安全を確保出来る行為がなく、最近飲み物を飲んだりするのにも疲れてしまい、少しベッドから降りてぼーっとすると気付いたら窓のそばで外を見ているので危なっかしい。最近はその足すら上手いこと動かないこともある。ベッドの上から動けない理由のうち三割くらいはそれもある。 親は最近私に苛立ち始めているようだった。返事も出来ない同居人といるのはそれはストレスフルだろうし、こちらとしても致し方ない。家の中がそこそこ暗いので居間には居づらい。そういえば医師の先生から言われた一週間という休養期間はとっくのとうに過ぎたのか。それなら仕方のない気もする。 誰にも見せない癖に自分の身体を鏡で確認する癖があるが、最近洗面所の鏡を見なくなったのでスマートフォンのカメラで確認した。痩せたはずなのにお腹は丸く出ているのに肋が見えて、なんとも言えない身体だった。少しだけ食べた後で胃下垂になっているのもまぁあると思うが、醜いなぁと思ってしまった。 例えこの状態の身体に原因があったとして、取り除いてもすぐには戻らない。それを知って、本当なら声をあげて精一杯泣くべきのところが浅く細い息になって出てくるだけで、それ以外何も出来なかった。 眠る分、夢はさらに見るようになっている。悪夢だけを見ることはなくなったが決して見ないわけではない。三分の二は悪夢と言ってもいいかもしれない。 今日も身体中を体液か何かの酸っぱい匂いが覆っている。この匂いが苦手だ。
夢の中ならこの匂いを感じずに済むし、足は痺れて動かないからまた眠る。睡眠欲があるわけじゃないが。昨日気付いたが三大欲求はいつのまにか無くなっていた。今日も昨日に比べてあまり食べられなくなっていた。心配だった。 眠れない時はどうしたらいいか、未だに分からないままでいる。ただ、ただ何か考えている。例えば、声を取り戻したら、少しはあの見た目の身体もマシになるのかなぁと。
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